自分にできることで恩返しがしたい。ーNSA副理事長 佐藤正麗穂さん
「出産や育児、親の介護で何度も何度もサーフィンから離れた。でもやっぱり戻って来たくなるサーフィンの魅力を自分だけに留めたくなかった」と語るNSA副理事長を務める佐藤正麗穂さん。オリンピック選手や強化指定選手の育成・サポートのため、裏で様々な調整を行なっているまさに「縁の下の力持ち」。そんな佐藤副理事長に、NSAに関わり始めた経緯や、オリンピックへの想い、サーフィンの魅力についてたっぷりとお話を伺いました!
前回のNSA理事長の酒井厚志さんへのインタビューはこちらから。
12年のブランク後、50歳でサーフィンを再開。
ー佐藤副理事長はいつサーフィン始められましたか?
高校3年生の時に、突然知り合いに海に連れて行かれて、何がなんだか分からないまま始めました。昔から体育だけはオール5で運動神経は良い方でした。スケートボードをやっていたこともあり、感覚をすぐ掴んでその日のうちに立てたんです。初日に立つのは結構難しいということを後になって知りました(笑)その日は波が大きすぎず、初心者にはちょうどいい小波だったこともあり、何の苦労もなくサーフィンの一番楽しいところを初日で知ってしまった感じでした。すんなりとサーフィンの醍醐味を味わってからはどんどんと魅力にハマっていきました。
ーそこからプロになった経緯を教えてください。
サーフィンを始めてすぐ大会に出るように先輩に勧められて、立てるか立てないかの超ビギナーレベルで、男性サーファーに混じって試合に出ていました。まだ女性サーファーが少ない時代だったので、大会に出れば賞品がもらえたこともあり、すっかり楽しくなって試合にもたくさん出るようになりました。出身は神奈川県川崎市で海からは離れたところに住んでいたので、高校生の頃は土日や夏休みにサーフィンをしておりました。高校卒業後は、海から通いやすい立地の専門学校に進学をしたことで、平日もサーフィンができるようになり、そこからはサーフィン漬けで、26歳の時にプロのトライアルテストに合格しました。
ープロになってから、サーフィンから離れた時期もありましたか?
これまで何十回とありました。主人が海で大怪我をしたので、その介護のために海から離れたこともありましたし、6歳違いの娘が二人いるので、出産から小学校入学までの12年間はほどんどサーフィンができない時期が続いておりました。また夫が仕事で海外赴任をしていたということもあり、私と娘二人は川崎の実家に住み、親の介護をしながらの育児で、思うように自分の時間が取れない日々でした。その当時は今のようにサーフィンにまた戻れる日が来るなんて想像できないほどでした。次女が小学校入学後は少し手が空いたこともあり、50歳の時に本格的にサーフィンを再開しました。
自分だけで完結したくない、次世代に何かを残したい。
ーその後NSAと関わり始めた理由は?
再開後は波があれば海に入るという生活で、ゆるく楽しんでいたのですが、こんなに長期間離れていても戻りたいと思わせてくれるほど好きなサーフィンに対して、何か恩返しできることってあるんじゃないかなと思ったんです。たまたま「NPO法人Ocean’s Love」の活動の一環である、知的障がい児・発達障がい児のためのサーフィンスクールのボランティアとしてお手伝いすることになったんです。その後パラサーフィンやNSAに関する仕事にも関わり始めました。大好きなサーフィンを自分だけで完結するのではく、何らかの形で人に伝えたり、繋げていきたいなと思ったんです。
ーなぜそのような思いになったのでしょうか?
七里ヶ浜がホームポイントだったのですが、若い時は地元のサーファーや、サーフショップの方にたくさんお世話になりました。また海の事故もたくさん見てきました。50歳になって戻ってきたのも七里ヶ浜で、何か恩返しがしたい、役に立てることがしたいと思いました。専門学校で幼児教育を学び、乳児専門の保育園で勤めてた経験があったんです。またサーファーとしてNSAのインストラクターや、大会でのジャッジの経験もあり、自分ができることを還元したいという純粋な思いから、それらの経験を活かしたいと思い、サーフィンスクールのお手伝いなどから始めました。サーフィン業界を変えたいとか、誰かを巻き込んで大きなことを成し遂げたいとかそういう大それたことではなく、サーフィンという自分の人生を大きく変えたものを、自分だけで完結するのではなくて、周りの人に還元できたらいいなという思いで、少しずつ自分のできる範囲内で活動を広げていきました。今NSAの副理事長として様々なことに携わっておりますが、それらが何らかの形で誰かの役に立っているのであれば嬉しいなと思います。
ー佐藤副理事長が主に関わっているNSAの強化本部について教えてください。
NSAの強化本部は「国際委員会」「強化委員会」「アスリート委員会」「アンチドーピング医科学委員会」の4つの委員会からなります。「国際委員会」は、ISA(国際サーフィン連盟)からの情報をまとめて、強化委員会におろしたり、強化指定選手だけではない、マスターズクラスのコンテストの統括も行っております。「強化委員会」とは毎年選出する強化指定選手の選考、育成、サポートをしております。私の役割としては、選手だけでなくコーチや監督、医療スタッフなど選手を支えるスタッフ同士が連携が取りやすいように様々な関係者に確認を取りつつ、会議の議題に挙げて改善したりと、いわゆる潤滑油的な動きをしております。選手がストレスなく、大会に専念できることが一番だと思いますので、最前線で選手と向き合うスタッフの管理・配置を行なっています。選手とスタッフ間のことは現場に任せているので、私は「縁の下の力持ち」的な感じでしょうか。
みんなから応援されるCT選手を日本から育てたい。
ー若手選手の育成について、強化本部で今後取り組んでいきたいことは?
「オリンピック強化指定選手」に入る次世代のアスリートを育成するという意味で考えますと、CT(チャンピオンシップ・ツアー)メンバーに入ることが求められると思います。まずはCTメンバーに入る選手を育てるために、海外のツアーで好成績を出すことが求められますが、今は円安という状況もあり、金銭的にも厳しい状況です。いかに予算をかけずに選手を育てていけるかが、強化本部の課題だと思っています。
ーそういった若い選手に期待することは?
まずは当たり前のことですが、常識をわきまえて常に周りの人を考えられる選手であることは大前提です。人から憧れるような選手でありつつも、世界で通用するスキルを持ち合わせてほしいと思っています。オリンピック選手になるということは、並大抵の努力で掴み取ることはできず、自分に負けない精神力が必要です。周りの人からのエールもきっと力になると思うので、ぜひサーフィン競技にもっと目を向けて欲しいですし、それに応えてくれる選手が日本から育ってくれればなと願っております。
タヒチは命懸けの場所、笑顔で帰って来てほしい。
ーパリオリンピックに向けて、どのように準備を進めてこられましたか?
海外のツアーを回っている選手もいるので、全員で練習するというのがスケジュール的にも非常に難しかったです。ただ、今回の開催地がタヒチということもあり、他の国の波とは異なる独特なコンディションのため、オリンピックで勝つためには現地の練習を通して、タヒチの波への経験値を積むことが必要でした。日本としては、なるべく早い段階でタヒチに拠点を構え、試合の合間を縫っていつでも選手がタヒチに来れる準備を整えていました。強化合宿期間中は監督やコーチも選手に帯同しますので、そういった調整なども行なってきました。また現地の波を知り尽くしている方をコーチとしてお招きし、ローカルしか分からない色々なコンディションを想定した波の見方を共有いただいたりもしました。
ーパリオリンピックの目標は?
もちろん金メダルです!万が一金メダルに手が届かなかったとしても、メダルは持って帰ってきて欲しいと思っています。あとはもう怪我なく安全第一で無事に帰って来てほしいです。タヒチというところは本当に命が懸かっている場所ですので、全員が笑顔で日本に戻って来てくれたらと願っています。オリンピックに帯同できるスタッフは限られているので、私は日本から応援する予定です。
心に余裕が持てる、それがサーフィン。
ーサーフィンの魅力はどういったところだと感じますか?
自然の景色の美しさや素晴らしさを体感し、エネルギーをいただくことで自分自身が笑顔になれたり人に優しくなれたりと幸せになれることだと思います。そうなると家族や周りの人への接し方も優しくなるんですよ。余裕を持って接することができるんですね。本当に自然はありがたいです。生きているとイライラすることや人に対して嫌味を言いたくなったりすることって時にはあると思うんですけど、そういうことがない自分でいたいんです。そのためにはやっぱり海に行くことで自然からのパワーをもらって、原点に戻るというか、心がスーッと軽くなって気持ちに余裕が生まれるんです。そこがサーフィンの魅力だなと感じます。
ー佐藤副理事長の夢について教えてください。
育児や親の介護がひと段落したので、海の見える家に引っ越してのんびりと暮らしながら、みんながサーフィンを楽しんでいる様子を眺められればそれが一番の幸せだなと思います。
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