サーフィンが導いた深海への情熱ー許正憲さんインタビュー
今回お話をお伺いしたのは、国立研究開発法人海洋研究開発機構JAMSTECの許正憲さん。JAMSTECは海の研究を通じて、科学技術の向上、学術研究の発展、地球や生命の理解などに広く貢献するための活動に取り組んでいる機関です。海洋国家の日本における総合的な研究開発機関、いわば「海と地球の研究所」として知られています。許さんはJAMSTECで何千メートルという深海底を専門に、深海の研究を38年間行っていますが、深海のフィールドに足を踏み入れたきっかけはなんとサーフィンでした!
サーフィンから海、そして深海へ。
台湾出身で幼い時に両親と共に日本へ来ました。ちょうど第二次サーフィンブームの少し前、私が高校生の時に始めたサーフィンにどハマりしたんです。海に入るようになってから色んなことに興味を持ち始め、だんだんと自然、そして海そのもののエネルギーに魅了をされていきました。大学は工学部機械工学科に進学し、サーフィンに明け暮れた生活を送っていて、大学4年生になり卒論を書くために研究室を選ぶ時期に渡された研究室リストから、「波エネルギー」という学問を初めて目にしました。サーフィンをやっていた私は「波」というワードに反射的に飛びついたのですが、そこが人生のターニングポイントだったと思っています。大学院まで進学をし、工学博士を取得し、波エネルギーに関する研究を深めました。卒業後いったんは民間企業で勤めていたのですが、すぐに「やっぱり海に関わる仕事に携わりたい」という思いが湧いてきて、新聞の小さな切り抜きからJAMSTECという機関が海の研究をしていることを知ったんです。当時はインターネットがまだない時代ですので、最寄りの公衆電話の電話帳から電話番号を調べてそれから採用試験を受けに行きました。
地震、生き物、熱水、深海に関するあらゆることを調査。
晴れてJAMSTECに就職したものの、ちょうど「しんかい6500」(当時、世界でもっとも深い水深6,500mまで潜航できる有人潜水調査船。先代の「しんかい2000」は1400回以上の潜航を無事終えた後2004年に退役し、現在は新江ノ島水族館に展示されている)のプロジェクトが始まる頃でしたので、この開発チームに採用され、大学院時代の波の研究とは異なり、「深海」のキャリアをスタートさせたわけなんです。その後、いくつもの大型の深海プロジェクトに携わり、潜水調査船や無人機を使って、海底から様々なサンプルを採取し地球の内部の動きを解明したり、深海に生息する多種多様な生物の研究を推進するための技術開発を行ってきました。
現在の仕事内容は、掘削船を用いて地震発生メカニズムの理解に欠かせない海底下データの取得や地質試料を採取する研究を行っています。最近の大きな成果としては、東日本大震災の地震がなぜあのような巨大津波を発生させたのかを解明するために、地震すべりによってプレート境界部にどれくらいの摩擦が生じたのかを掘削船を用いて観測することに世界で初めて成功しました。沖縄では熱水が噴いている深海が発見されて、そういう熱水噴出域は生物のオアシスになります。そういった熱水調査も含め、深海に関する幅広い調査を続けています。最近の深海調査では人間が深海に行かなくても、海上の船とケーブルで繋がれた無人ロボットを活用した探査方法が増え、さらにはケーブルも持たない完全自律した無人ロボットの開発も進んでいます。海洋の研究分野は生物、化学、地球物理学、地質学、地震学などなどさまざまな要素の統合といえます。私自身の専門は「工学」ですが、自分たちが深海で何を調査したいのか、どういうデータが欲しいのかを一番理解している専門家たちとチームとなって、それを実現するための、これまで世界になかった新しい道具や機械を開発することはエンジニアとしての大きな醍醐味といえます。
海底には色んな音がある
このほか「海中の音」にもたいへん興味を持っています。東日本大震災の後にリアルタイムで地震観測できる海底ケーブルネットワークが広域にわたって東北の海底に設置されました。この地震観測網には地震波以外にも海中の様々な音が録音されており、その中に三陸沖を通過するナガスクジラの鳴音があることを見つけました。クジラの音を分析すると、個体それぞれの音が特定できます。個体が特定できればその動きを追跡することができるので、彼らが季節ごとにどのように海を移動して生活しているのかを掴める研究材料として活用することができるんです。水族館で飼育できるイルカはエコロケーションや聴覚能力についての研究が進められている一方で、外洋を泳いでいる大型のクジラに関してはほとんど分かっていなかったので、海底ケーブル式の地震計のデュアルユーズ(二次活用)が期待されています。
まだ分かっていないものを自分で究明していきたい。
深海ではマッコウクジラとダイオウイカが格闘しているとよく言われますよね。小学校の出前授業でこの話をすれば、100%知っているほどとても有名なです。実際、マッコウクジラの巨大な頭にはダイオウイカの吸盤の痕がたくさんついていたり、マッコウクジラのお腹の中からはダイオウイカのクチバシが発見されたりと物的証拠はたくさん見つかっています。吸盤のサイズからダイオウイカの大きさも推定できます。だから、マッコウクジラがダイオウイカを捕食する際に壮絶な戦いが深海で繰り広げられていることはほぼ間違いないのですが、実はその現場を実際に見て、写真や動画でこの戦いを撮影した人はまだ誰もいません。広い海、しかも深海でマッコウクジラはどのようにしてダイオウイカを見つけ出すのかという不思議な謎を人間が深海で調査するのは難しいですが、マッコウクジラにカメラをつけ、回収することができればこの謎をマッコウクジラが教えてくれるはずです。このカメラには果たしてどんな映像が写されているのか、想像するだけでワクワク感がありますね。そういった未知なことが多い深海の謎を一つ一つ解き明かせると思うとすごく心躍る仕事だと思います。研究者というのは、まだ分かっていないことを最初に自分が究明していくのがとても好きなんですよ。だから、未知なことにはすごく興味深くなるし、海への好奇心が止まらないですね。
ピュアに自然を愛してくれる子どもたちを増やしていく
海と接する中で、やはり海岸の侵食や水質汚染などの環境問題については日々心配しています。陸に住んでいると意外と気づかないこともサーファーは敏感に察知するのでもっと積極的に発信していき、自分事として捉えて行動する人が増えたらいいなと思っています。最近の子どもたちはインターネットで情報はいつでも手軽にアクセスできるため、海の知識は知っているし勉強もしていると感じています。ただ自然離れや海離れが進んでおり、実際に海に行く機会が少ないため、経験が不足しているとも感じています。記憶力はいいし知的好奇心も高いのでいつか海に行った時に私の言葉を思い出してもらえたらという思いでいつも出前授業を行っています。子どもの頃の経験は脳に深く刻まれ、大きくなった後も消えることはないです。だから、幼少期にきちんと自然に触れ、自然を理解していれば、大人になっても環境を汚染するような行動はないと思うし、そういう子どもたちが増えればきっと世の中はもっとよくなる、と確信しています。自然のことを自然な気持ちで愛してくれる子どもたちを増やしていけば、環境汚染に関する法律や規制をわざわざ整備しなくても環境を汚染する人はいなくなるでしょう。
理想論かもしれないけど、誰かが子どもたちに地道に伝えていって、それが継続されていけば何世紀後かの未来は確実に変わっていくはずです。もちろん、その頃に私はもう生きていないし、今自分がやっていることを成果として見ることができないのは確かなんですが、やっていく意味はあると思っています。小さい子供たちはまだなんにも洗脳されていないまっさらなピュアな状態です。子どもの頃に身につけたものってきっと成長しても頭や心に染み付いているものだと思います。やったらダメだからやらないのではなく、そんなことやることも思いつかなかったという状態になれば、きっと世の中は変わります。海岸にゴミを捨てちゃいけないから捨てないのではなく、海にゴミを捨てるなんてありえないでしょ?というマインドを育てていくという意味です。既に先入観の塊である大人を変えるのは困難であり、まっさらなピュアな心を持つ子どもたちに地道に伝えていきたいです。
スポーツとしてのサーフィンを発展させたい
さらに興味のベクトルはいろいろな向きに広がるのですが、これまで研究してきた工学系の分野とサーフィンを組み合わせることはできないかと日々構想しており、最新技術を駆使して運動としてのサーフィンの研究を深めたいと思っています。例えばサーフボードのどの部分に足を載せて重心移動しているのかを計測できるサーフボードがあれば、自分のサーフィン映像を見返す時に有益な情報になりますよね。どの位置でどれくらいの強さで板を蹴るとどれくらい回転するのかなど、データで可視化できればスポーツ科学と融合できそうだなと思っています。現在AIの発展により、動いている人物を追跡する技術はすでにスポーツでも生かされています。サーフボードの内部にそのような技術が搭載されれば、サーフィンのさらなる発展にも繋がりそうだなと感じています。
高校生から始めたサーフィンは還暦をだいぶ過ぎた今でもずっと続いているのですが、仕事で航海に出て、同じ海にはいるのにサーフィンができない時はすごくもどかしさを感じることもあります。外洋に出て嵐が来ると船が揺れて船酔いすることもあるのですが、私の目の前を通過したこのうねりが明日の朝にはどっかの海岸に届いて、サーフィンを楽しんでいる人がいるんだろうなと思うと少し悔しくなることもあるくらいです(笑)。他のスポーツと違って、波が相手なので同じ波は二度とこないというところが難しくもあり、楽しさに繋がっています。サーフィン中ほとんどの時間が難しいなと感じるのですが、きっと一瞬の楽しさがあるからそれを求めてずっと続けられるんですよね。そういうスポーツとしての好きな部分もありますし、寄せては返す波を見ているだけで癒されるので、やっぱりサーフィンは好きです。海と波と夕日は癒し効果が抜群だと思っています。