
今回お話をお伺いしたのは、2019年にJPSA年間チャンピオンとして頂点を極めた須田那月さん。16年のキャリアを経て、現在は種子島でサーフィンスクールを開き、初心者から経験者まで幅広く指導しています。プロとしてのストイックな日々、引退後の新たな挑戦、そして育児との両立。サーフィンと共に歩む彼女の現在地に迫ります。
須田那月(すだなつき)プロフィール
1995年生まれ、鹿児島県・種子島出身。2019年にはショートボード女子のグランドチャンピオンに輝くなど、数々の成績を収めた後、2023年に約16年間の競技生活を終える。現在は個人のサーフィンスクールを運営しながら、NPO法人サーフアンドシーの理事として、海を守る活動にも精力的に取り組んでいる。2024年に第一子を出産し、育児と仕事の両立に励んでいる。
種子島からプロを目指した下積み時代。

サーフィンを始めたのは小学校高学年の頃。6歳年下の弟が幼い頃からサーフィンを楽しんでいた影響もあり、興味を持ち始めました。ちょうどその頃、テレビで金メダリストのカリッサ・ムーアのドキュメンタリーを観て、プロサーファーという職業に憧れを抱きました。プロになると決めたその日から、ストイックに練習に取り組む日々でした。
もともと控えめで優しい性格だったため、試合中に相手に波を譲ってしまうことがあり、自分の性格が競技に不向きではないかと悩んだこともありました。しかし、試合中は「相手との対戦」ではなく「自分との戦い」と考えることで、次第に勝てるようになりました。無理に性格を変えるのではなく、試合中は自分の性格を切り離して考えることで、気持ちが楽になったと思います。
プロサーファーになった後も、種子島を拠点とし続けることにこだわりました。中高生の頃は、競技サーフィンへの理解が今ほどなく、遊びの延長のように見られることもあり、資金調達に苦労しました。地元企業へ履歴書を送り、スポンサーを募ったり、クラウドファンディングに挑戦したりしながら活動を続けました。
その経験を通して、「種子島からでも世界に挑戦できる」ことを証明したいという強い思いが芽生えました。次世代の子どもたちには、個人競技の選手として日本や世界に羽ばたくことを諦めてほしくなかったのです。遠征費や移動の負担は決して軽くありませんでしたが、引退後に地元の小学校で講演を依頼された際、自分の選択は間違っていなかったと実感しました。
引退の理由、後輩たちへのエール。

2019年にJPSAグランドチャンピオンを獲得しましたが、翌年にコロナ禍となり、国内外の試合がすべて中止に。チャンピオンの勢いそのままに海外の試合に挑戦し、スポンサー契約を進める予定でしたが、すべてが白紙になってしまいました。「グランドチャンピオンは幻だったのでは」と錯覚するほど、精神的に辛い日々を過ごしました。
試合が再開された年、最後の試合で優勝すれば2度目のグランドチャンピオン獲得というチャンスがありました。結果的に優勝はできませんでしたが、自分の中の壁を乗り越え、大きく成長できた年でした。そこで燃え尽きてしまい、このまま続けていても自分のためにはならないと考え、引退を決意しました。
競技生活に後悔はありませんが、現役のうちにもっと多くの活動に挑戦すべきだったと感じています。特にマイナースポーツだからこそ、競技の最前線に立つ現役選手が積極的に発信することのインパクトは大きいと思います。
だからこそ後輩たちには、試合で結果を残すことが大前提ですが、社会に対して影響を与える魅力を理解し、積極的に発信してほしいと願っています。日本には一つのことをやり抜くことを美徳とする風潮があり、本業以外の活動に対してネガティブな見方をする人も少なくありませんが、現役選手の影響力を活かして、自らのキャリアを切り拓きつつ、業界の認知度向上も目指してほしいですね。
引退後は様々なことに挑戦中。

引退後、最も印象深いプロジェクトは、種子島で開催したガールズ向けのサーフィンキャンプです。選考を通過した10人の参加者が全国から集まり、ワークショップやジャーナリングなどを行いました。共通点は「サーフィンが好き」ただそれだけで、サーフィンのレベルや住んでいる場所も様々。ワークショップでは自分の心に向き合う時間を設け、自尊心や感謝の気持ちを育む機会を作ることができました。このサーフィンキャンプは私がプロサーファーを目指すきっかけとなったカリッサ・ムーアがアメリカで行なっているプロジェクトの一つで、尊敬するカリッサとのプロジェクトを実行できて本当に嬉しかったです。
現在運営しているサーフィンスクールでは、観光客と地元の方が半々で、リピーターの方も多く訪れます。スクールで一番大切にしていることは、サーフィンへの価値観に寄り添うこと。私は良い波にたくさん乗れた方が楽しいし、みんなもそうだと信じて疑わなかったのですが、人によっては一本乗れたら満足という人もいれば、テイクオフさえできればいい人もいます。生徒さんの価値観を知るため、海に入る前にじっくりアイスブレイクを行い、それぞれの価値観を大切にしながら、サーフィンの魅力を伝えています。

慣れない子育てと、好きなこと。

出産前は、長年体を鍛えていたので、すぐに復帰できるだろうと軽く捉えていました。ただ実際は想像以上に大変で、出産の痛みはどの試合よりも辛かった(笑)産後の体は自分の体ではないみたいで、世の中の母親は偉大だと痛感しました。現在は両親のサポートを受けながら、スクールの運営を再開しています。
娘の存在に癒される日々の中、夫と釣りを楽しんだり、韓国アイドルのMV鑑賞をしたりと、息抜きの時間も作っています。あとは美容がすごく好きで、サーファーの友達と会う時も、話題は美容に関することばかり(笑)サーフィン中の紫外線対策は入念にしており、「マーメイド」という日焼け止めの使用感に感動をして、社長に熱い思いを長文メールで伝えたことがあるほどこだわりがあります。想いが通じてスポンサー契約を結んでもらえることになり、長年お付き合いさせていただいているんです。
サーフィンを生涯スポーツへ。

今後の目標は、サーフィンを「人生を豊かにする一つの手段」として広めること。競技のイメージが強いですが、年齢や性別を問わず楽しめる生涯スポーツとして発展させ、サーフィンが持つポテンシャルを世に広げていきたいです。
私のとってサーフィンとは、人格や人間性の土台を作ったものだと思います。サーフィンを通して、社交的になり様々なチャレンジができるようになりました。元々自己主張をあまりしないタイプだったので、サーフィンをやっていなければ、今頃全く違う自分だったと思います。
私が住んでいる種子島は南北に細長い小さい島なので、移動も楽ちん。太平洋側と東シナ海側両方に面しているため、サーフポイントが豊富で、波に合わせて柔軟に場所を変更することが可能なので、旅行にはぴったりです。初心者から上級者までどんなレベルの方も楽しめるので、ぜひ一度遊びに来てくださいね!