
今回のインタビューは、テレビリポーターとして活躍中の全日本出場経験を持つボディーボーダーの堀真奈美さん。
テレビ局のお仕事をしながらボディーボードを続けている堀さんのライフスタイルを深掘りしてみました。
【冒頭】“今”の堀真奈美さん
では、まずご自身のご経歴について教えてください
1971年生まれ、岩手県出身です。
大学時代から出身地の岩手や大学のある青森の局でリポーターをしていました。現在のような全国放送での社会情報番組のリポーターという仕事は、実は幼稚園の頃からやりたいと思っていた夢でした。
卒業後、1年ほどして一念発起。試験を受けて念願のワイドショーのリポーターに。初のキー局、全国放送で。仕事のレベルもスピードも今までの経験とあまりに違いすぎて忙しすぎて、当時の記憶が曖昧なくらいです。
長いフリーアナウンサー生活では色々なお仕事をさせていただきましたが、やはり自分には現場から今の状況を伝える仕事—、ここに強い使命感を抱いており、ありがたいことに30年ほど続けています。
最近ハマっていること(趣味など)は?
仕事と波乗りの2本柱ですね。現状は8割が仕事、2割が波乗り。
ただ、基本インドア大好きなので、晴れて波のいい日に敢えて部屋にこもって漫画を読んでるのも大好きなんです。自称、漫画ソムリエ(笑)動画配信でアニメも何時間でも観てられますね。
普段のライフスタイルについて

月曜から金曜までは生放送があり、事件現場や楽しい話題の場所まで様々な現場に赴き、取材をし生中継でリポートします。
昔と違って、今はお休みも取れるので、仕事と波乗りが自分のライフスタイルの軸になっています。
取材は国内が中心。たとえ北海道であっても沖縄であっても、基本的には日帰りです。
そんな中、忙しくても家族の食事はしっかり作る!というのだけは決めていて、作り置きメニューを工夫したり、半額シールに出会うと嬉しくなったり、放送が終わればまあ普通の主婦です(笑)。
休日はしっかりとサーフィンと、それ以外のことに時間を使えます。
家族や仲間のライディング映像を撮ったり、地元プロと自治体が主催する子供向けの体験イベントを手伝ったり。
よく行くサーフポイントは鹿島や茨城の沿岸全般。波情報では載っていないポイントなのでのびのびサーフしています(笑)。
【原点】なぜ“海”と“メディア”の道へ?
〜海のこと〜ボディーボードを始めたきっかけ

初めての全国放送の番組が終了したタイミングで、休養とともに「自分を変えたい」と思うようになりました。
何かに挑戦したいと探していた時、憧れていた番組の先輩がサーファーで、「ボディーボードならショートよりはすぐできるよ」と勧めてくれたんです。
それまでは大学が青森ということで太平洋と日本海がすぐ近くにあったにも関わらず、まったく海に興味がなかったんです。
当時はスキーやスノーボードの方が好きで、夏は「暇だなぁ」と思っていたくらい。
でも、ある日ワイルドブルー横浜でボディーボードを体験。スクールにも通いすっかりハマってしまいました。
海から学べることやボディーボードとの向き合い方
実は、メディアの仕事とボディーボードの世界って、通じる部分がたくさんあるんです。
磨けば磨くほど、自分の才能のなさを痛感するところが自分にとっての共通点。
波乗りって“今”しかないじゃないですか?
今、テイクオフしなかったら波に置いていかれてライディングに繋げられないでしょ。
リポートの仕事も、ある意味“今”が勝負です。視聴率って秒単位で分かるし、その瞬間がすべて。
もちろん「こうすればよかった」と思うことはあるけれど、すでに過去なので、反省して改善点を見つけたら直ちに次に活かす。あの失敗があったから今の成功があると言えるように、意識しています。
未来は“今”の積み重ねでしか作りようがないですから。
そんな”今”を過ごす中で、いつも“足りない”と感じています。
仕事も波乗りも、研鑽が足りない。持って生まれた才能が足りない。果たして私の今の技量でやれるだろうかと思う時もある。
もっともっと上手くなりたい。でも、足りないのは仕方ない。でも本番は来る。ならば、今の自分でも絶対に成さねば。という覚悟を持っています。そして若いスタッフには堀さんが現場だから安心と思ってもらえるようにしています。
いままでのリポートで一番印象的だった中継は?
今まで数え切れないほどの現場に行かせていただきましたが、ダントツで”海の日”の中継。生放送でボディボードを披露した事です!



「ゴゴスマ」(TBS系/CBC 月〜金 午後1:55 全国25局で放送中)
ポイントは湘南の片瀬東浜で、その時の波のサイズはヒザモモ。波も小さく中継の持ち時間は2分半以内という条件下で、波に乗ってビーチに上がって、締めのリポートをするというハードなレギュレーションでした。
それでもテレビを観てくださった方にボディボードをやってみたいと思っていただきたく、ディレクター、カメラマンと一丸となって頑張りました。
中継現地には地元湘南のトッププロとトップアマの友人たちも応援に駆けつけてくれたことも後押しとなり、なんとかまとめられました(大笑)
スタジオも大盛り上がりとなり、海の日にふさわしい中継になりました!
【多才】「好き」が広がるライフスタイル
津軽弁、乗馬、ウクレレ、犬の訓練など、趣味も多彩ですよね
防災士の資格も持っていて、その知識はボディボーダーとしてもリポーターとしても役立っているのではないでしょうか
乗馬は、実は波乗りと驚くほど共通点があります。
身体の使い方や目線の置き方など、主語を「波乗り」に置き換えても、話が通じてしまうほどです。
たとえば、方向転換の際の手綱さばきは、波乗りでいうレールの入れ方と似ているし、障害物を飛ぶときの体重移動は、波のターン後半からリップに向かって当てにいく動きにそっくり。しかも、同じ動きをする馬は一頭としていません。そこもまた、毎回違う表情を見せる波とよく似ていて、自然との共存が前提という点でも通じるものがあります。
保護猫活動については元々動物愛護に関心があり普段は活動に参加できない分、寄付や単発ボランティアで関わっています。
ペット、使役動物、食肉加工のための動物、すべてに快適な環境を与える「動物福祉」を学んでいます。
滝川クリステルさんとトークショーをしたこともあり、「自分にできること」を考えた結果、里親が決まりにくい大人猫の保護猫を迎えることに。名前は「のぶお」。家族みんなで溺愛していて、今では私たちの方が幸せをもらっているんです。
津軽弁は同じ東北出身の私にとっても全く異なる言葉で最初は驚きましたが、外国語を学ぶような気持ちで接するうちに自然と話せるようになりました。青森での取材では津軽弁が強みとなり、他局よりも深く踏み込めることも。津軽弁を理解できることで青森の話題を報じる際には、津軽弁で話す方のインタビューに共通語のテロップを求められる場面もあります。
さらに、青森の地元サーファーの皆さんとも密にコミュニケーション出来て、極上のポイントに案内していただいたりもしています。
防災士は災害発生時に、より的確に視聴者へ情報を伝えられるように、現場リポーターとしても一市民としても役立つスキルを身につけるため取得した資格です。取材中、被災者が困っていたら、有益な情報を差し上げることも多々あります。取得して終わりではなく、そこからどう生かすかですね。
ちなみに、私の波情報アプリの使いかたは、少し特殊です。例えば、知らない土地に取材に行き、注意喚起のため高い波の映像が欲しいとします。「今、一番強いウネリが入っている場所はどこ?」を知りたくて、「なみある?」アプリを駆使し天気図だけでは知り得ない波の大きさや風の強さなど、サーフポイントを基準にピンポイントでそういった情報を探せる、最高のツールとして利用しています!
過去には全日本出場経験や公認ライセンスの取得など、色々なチャレンジがあったと思います
資格や経験を活かしてやってみたいことは?
今は仕事にプライオリティを置いていますが、ゆくゆくは波乗りと自分の仕事の経験を通じて社会貢献したいです。公認A級ジャッジ資格取得はその一つです。番組でサーフィンを取り上げる際、スタッフにレクチャーしたり、プロサーファーを解説者にお呼びした事もありますが、より言葉に真実味を持たせたり、的確な質問をできるようにしておきたいから取得しました。
サーフィンを見た事がない視聴者との架け橋になれればと思います。
【挑戦】波とともに乗り越えたこと

今は完治していますが、10年前、血管系の病気で16時間にも及ぶ大手術を受けました。
ただ、目が覚めた時、不思議と「また海に戻れる」「仕事に戻れる」と信じていました。最悪の状況だったからこそ、「今を進むしかない」と思えたんです。
担当医師から告げられたリハビリの中に『テレビを観る事』という項目があり、ちょうどオンエアしていたのが今出演させていただいている『ゴゴスマ』でした。
司会の石井亮次アナウンサーの姿を見て、「仕事に戻れるならこの番組に行きたい」と強く思いました。
退院して数年後に本当に『ゴゴスマ』にお世話になる事が出来て、深く感謝するとともに、番組に貢献していこうと思っています。

また、入院中の病室には波乗り仲間がひっきりなしに来てくれて、世間話をしてくれた時間が何よりも嬉しかったです。
リハビリに夢中になりすぎて、食事の時間を忘れて院内を歩き回り、GPSをつけられてしまったこともあります(笑)。
日常生活がリハビリという担当医の勧めもあり、リハビリ施設には転院せず自宅に戻る選択をしました。
身体能力を戻すため、所属サーフショップのステップサーフが行なっている霞ヶ浦のボートサーフィンで海に戻る練習をしました。色々な方に支えられて仕事と海に戻る事が出来ました。
そういう経験から、「自分と出会った人たちが、ずっと健康でいてくれること」を強く願っています。
【これから】波の先に見える未来
実は、夢や目標はもう「ない」んです。
目標をすでに叶えてしまっていて、「なりたい自分像」を既存の誰かから借りることはできないと感じています。今のテレビ界はストロングカレントのようなもの。今日の正義が明日も正義であるとは限らない。
でも、日々変わりゆく業界の中で、しかもこの年齢で取材の現場に出続けられている事は自分でも驚いています。敢えて目標を言うなら自分を必要としてくれる方のために貢献し続ける事でしょうか。
最後に、堀さんにとってボディーボード(波乗り)とは
なくてはならない存在。
仕事だけじゃダメ、波乗りだけじゃダメ。2つの軸があるからこそ、前に進める。それが私をつくる「ストリンガー(芯材)」になっています。
波乗りを続けるには、良い仕事をして、生活環境を整え、経済力も維持する必要があります。道具も日々進化しているので、それに対応する知識や思考力も不可欠。
最近の若いサーファーたちは技術だけでなく、知識面でも努力していて、その姿勢からは学びがあります。新しい観点で波乗りを引っ張ってくれる頼もしい存在が増えていて、私たち年長者はそれを支えていけたらいいなと思います。

