
2011年3月11日14時46分
東日本大震災は発生した。
波情報更新チームはちょうど15時の更新を行うために、海岸を移動しながらチェック中。
なみある?はオフィスも、海岸線にあったので更新スタッフもオフィスに。スタッフは全員海の近くにいることになっていた。
チェック中のスタッフは、目眩が起きたと錯覚したという。冷静になり周りを見ると、電信柱がグニャグニャと揺れ、多くの人が座り込んでいた。オフィスにも電話が繋がらず、とりあえず内陸の方へ移動をし、帰路につく。
オフィスの更新スタッフは、窓ガラスがまるでプラスティックのように波打つのに恐怖を覚えながら、備品が倒れないように床へ寝かせる作業をすると、程なくして停電。
揺れはおさまったが、何もできない状況。断水もしてトイレにもいけない。
そんな時、津波の前兆である、大きく潮が引く現象を目撃。ここで、全員オフィスを離れ帰路につくことに。しかし、ほとんどが海の近くに住んでいるスタッフなので、高台に避難。私も帰宅してすぐに高台の避難所へ移動。
ここ鎌倉は観光地。当日は金曜日だったが人も多く、観光客は、電車も止まり、停電で駐車場が稼働せず車も出せない。土地勘も無くウロウロするばかり。多くの人を避難所へ誘導することに。なので、避難所は地元住人と観光客などでカオス状態に。
翌日は国道134号線が、通常止め、さらに計画停電で、波情報はもちろん配信停止。
通電している時間帯を利用して、Skypeで今後の対策を話し合う。 波情報を配信している会社で構成されている、波情報連絡会でも話し合いを行い、当面波情報の配信を控える決定に。

このように少し振り返ってみても、すぐにその時に戻れるくらい、インパクトのあった出来事。ここ神奈川より東北〜千葉エリアの方が数倍インパクトのある出来事であったのは事実。現在も2,519名の行方不明の方がいるし、避難所生活を余儀なくされている方もいる。
復興もまだ途中。しかし、時間は確実に進む。
その年に生まれた子供達は、中学3年生に。
時は流れ東日本大震災を知らない世代、記憶に無い世代が多くなってきた。
しかし、何年経っても、忘れてはいけないこと。
風化させないためにも、災害時の確認事項などを、3.11を災害等について話し合う日にするのも良いのではないでしょうか?



