
日本人初の二度の世界チャンピオンに輝き、ボディーボードの一時代を築いた、大原沙莉さん。幼少期から海とともに育ち、二度の世界チャンピオンなど華々しい戦歴を収めた後、昨年約18年間の競技人生を終えました。自身の限界を超え続けた挑戦の日々、試合に勝つための戦略、そして業界の未来を見据えた決断──彼女のボディーボード人生を振り返ります。
大原沙莉(おおはらさり)プロフィール
1995年生まれ、千葉県一宮町在住。中学3年生でJPBA公認プロ転向、高校1年生から世界ツアーへ参戦し始める。2019年・2023年に世界チャンピオンとなり、アジア人初となる2度の世界チャンピオンを獲得。4度のJPBA日本チャンピオン獲得するなど、長年ボディーボード女子の先頭に立つ。2024年のシーズンをもって、現役を引退。
ボディーボードとの出会い。

私はマリンスポーツ一家で育ちました。父はショートボード、母はボディーボード、弟はプロサーファーでオリンピック選手。特に父は、子供にマリンスポーツをさせたいという思いが強い人だったので、サーフィンよりも安全そうという理由でボディーボードを始めました。
本格的に練習を始めたのは、小学5年生のとき。海でプロボディーボーダーの小池葵さんに声をかけてもらい、お店に招待していただいたのがきっかけでした。そこでは、同世代で同じようにボディーボードに打ち込む仲間と出会い、切磋琢磨する環境ができました。次第に学校よりもそのコミュニティのほうが居心地の良い場所となり、練習にもより真剣に取り組むように。そんな中、小池さん主催のハワイ合宿にも参加させてもらう機会があり、さらに成長することができました。
日本人初の二度のチャンピオンの座を掴む。

比較的早い段階から海外で練習していたこともあり、高校入学後は海外の試合にも積極的に出場するようになりました。しかし、当時は「自分は世界チャンピオンにふさわしくない」と感じ、ビジョンを見失うことも。思うように実力を発揮できず、あと一歩のところで優勝を逃す時期が約9年続きました。
現状を変えたいと思い、まずはボードを変更。海外の波にも対応できる素材のものに変えたことで、自分の技術とボードの性能がかみ合い、これまで突破できなかった限界を超えることができました。そして24歳のとき、悲願の世界チャンピオンに。これをきっかけに「周囲を納得させられるようなチャンピオンになること」を次の目標に設定しました。日本人で2回チャンピオンになった選手はいなかったため、「第一人者になるんだ」と自分を奮い立たせました。
「どうしたら沙莉ちゃんのように世界で活躍できますか?」とよく聞かれますが、特別な練習メニューや環境があったわけではありません。プロアスリートとして基本的な食事管理やトレーニング、メンタルコーチングは取り入れていましたが、それ以上に大事だったのは「世界を見据えた準備」です。海外の波をイメージしながら練習し、海外選手が繰り出す技を取り入れる。特別な環境がなくても、日本にいながらでも、準備次第で世界を舞台に活躍できることを、下の世代に伝えていきたいと思っています。
勝つための準備は余念なく。

現役生活を通じて、一度も「ボディーボードを辞めたい」と思ったことはありませんでした。シーズン開始前になると「どこの国の試合に出られるんだろう」「どんな波に乗れるんだろう」とワクワクする気持ちのほうが大きかったので、モチベーション維持には困らなかったです。
ただ、「世界チャンピオン=世界で一番ボディーボードが上手い人」と思い込んでおり、ややスランプだった時期がありました。そのプレッシャーがさらにネガティブな感情を生み、試合で勝てないこともありました。そこで発想を転換し、「世界1位を目指すのではなく、目の前の試合に集中し、自分の強みを発揮すること」を意識するようにしました。すると心の重荷が軽くなり、試合で勝てるようになりました。
私の強みは「戦略性」です。試合前にはコーチと綿密に話し合い、どの波に乗るか、ヒート中はどこで波を待つか、対戦相手の攻め方まで徹底的に研究していました。また、心配性で悲観的な性格もあり、試合でうまくいかなかったときの対処法も常にシミュレーションしていました。自然相手の競技だからこそ、あらゆる状況に備えることが重要だと思います。
試合前のルーティンは、「ジャンプを3回すること」と「ボードと対話すること」。どれだけ応援してくれる人がいても、海に入れば自分の味方はボードだけ。だからこそ、「これまでたくさん練習してきたから、私たち大丈夫だよね」「試合中もいい波に乗ろうね」とボードに語りかけています。試合中は余計なことを考えず、感覚を研ぎ澄ませ、どんな小さい波の変化でも敏感にキャッチできるほど、集中力を高めていました。
引退後は業界のために第二の人生を歩みたい。

現役時代から、自分が第一線で活躍するよりも、業界を変えたいという思いが強く、早い段階で引退を考えていました。ボディーボードはサーフィンよりもさらに知名度が低く、競技に集中できる選手はほんの一握り。私は両親の理解や良いスポンサーとの出会いに恵まれ、不自由なく練習に打ち込めましたが、多くの選手はそうではありません。競技に集中できる環境を整えるため、裏方としてサポートしたいと考えました。2023年夏の時点で年間チャンピオンを獲れる確信が持てたので、あと1年は後輩育成のために一緒に試合に出ること、そして2024年シーズンを最後に引退をすることを決意しました。
今後は、自分の肩書きや名前を活かして業界に貢献したいと考えています。現役時代は試合に集中するあまり、それ以外の活動がほとんどできませんでした。今後は実況や解説などの大会の運営に携わるほか、個人スクールのレッスンを強化し、若手選手の育成にも力を入れたいと思っています。また、サーフィンやボディーボードの魅力をより多くの人に伝えるため、行政と協力し、学校行事に取り入れるなどの活動も考えています。
私にとってボディーボードとは、「知らないことを教えてくれる存在」。波に乗る感覚だけでなく、ボディーボードを通じて訪れた国、出会った人々のおかげで、視野が広がり、「もっと気楽に生きていいんだ」と思えるようになりました。同時に、日本人としての自分の良さも再認識できました。ボディーボードがあったからこそ、今の私がいると思っています。